それから数日後

小春日和と言うのに相応しい暖かな陽射しが所内を照らしていた。

天気に後押しされる様に小鳥の気持ちも晴れやかで清々しさに満ち溢れていた。

意気込んで来た会社はなんだか別の会社の様に全てが真新しく見えた。

気持ちの持ち様一つでここまで見方は変わってしまうのかと小鳥は驚いていた。

事務所に着いてからと言うもの小鳥の鼓動は否が応にも高鳴り落ち着けるはずも無かった。

それもそのはず。

今日こそは想いを伝えよう。

そう心に決めてから小鳥は今日出勤したのである。

目に見える物

手に取る物

耳に聞こえる物

その全てが何だか恥ずかしくもあり、また不安でもあった。

それら全てにプロデューサーの面影が思い浮かんでしまう。

落ち着かないながらも小鳥は業務を手早く終わらせプロデューサーの帰りを待っていた。

化粧室に向かい鏡をチェックする。

いつもより厚めの化粧の上からでも頬が紅潮しているのが伺えた。

「クマは隠せてるかなぁ…?」
そう呟きながら目の下を人差し指で引っ張ってみる。

昨晩小鳥は殆ど眠れていなかった。

プロデューサーに想いを伝えようと決心した反面、どうしようもない不安に駆られていた。

想いを伝えるのはいい。

その結果が問題だった。

もし想いを伝えて答えはNOだったら、築いてきた関係が壊れてしまうかも知れない。

今までの様に同僚として、仲間としての関係が無くなってしまうかも知れない。

そうなってしまうのは辛い。

それだけが小鳥の決心を今まで鈍らせていた根源だった。

だがそうネガティブな考えを変えたいと思う気持ちが小鳥を決心させたのでもあった。

ファンデーションの蓋をパタッと閉じて小さなバッグに仕舞う。

「不安だなぁ…」
化粧を直し化粧室を後にした小鳥は自分の席に着いた。

プロデューサーが帰ってくる予定の時刻までまだ少し時間が残っている。

そわそわと落ち着かない様子で普段なら手を着けない様な所まで整理をしていると事務所のドアがガチャリと開いた。

「プ、プロデューサー…さん?」
ドアを開けたのはあずさのプロデューサー本人だった。

「只今戻りました」
そう言ったプロデューサーの表情は心成しかいつもより険しく見えた。

プロデューサーの影にはあずさの姿も確認できた。

「ど、どうかされたんですか?予定より早い気がしますが…」

「すいません、音無さん。ミーティングルーム空いてますか?」
小鳥の問いには答えずプロデューサーは言った。

小鳥は言われるがままにパラパラとミーティングルームの使用状況を確認する。

「今日はもう使う予定は無いみたいですけど…」

「ちょっとお借りします。あずささん行きましょう」
何処か冷たさを感じる様な口調でプロデューサーは淡々と話すとミーティングルームに向かって歩き出した。

あずさも小鳥に会釈するとプロデューサーの後に続いた。

「何か…あったのかな…」
プロデューサーの雰囲気に気圧されて何も出来ないまま小鳥は二人の背中を見送っていた。

完全に話しかけるタイミングを失った小鳥は再び席に戻っていた。

思いがけないアクシデントに全ての予定が狂ってしまい完全に興が冷めてしまっていた。

「はぁーあ…これも私らしいと言えば私らしいのかな…」
溜息混じりに小鳥はそう呟いた。

刻一刻と時間だけが時計の針の音と共に過ぎていく。

「あ、そうだ。お茶淹れてあげよ」
手持ち無沙汰だった小鳥はそう思い給湯室に向かうとお茶を3人分淹れた。

一つを自分のデスクに置き、残りをミーティングルームに運ぶ。

「失礼しま―」
「俺はプロデューサーとして、あずささんをおもうファンの一人として!貴方を支えていくつもりですよ!」
ノックをしようとした瞬間、プロデューサーの荒げた声が小鳥の耳を通り抜ける。

(え…)
振り下ろされた手がコンと1回ミーティングルームのドアを叩いた。

「…どうぞ」
プロデューサーは一呼吸置いて入室を促した。

「失礼します…」
ドアを開けると俯き加減のあずさとギッと椅子を引いて座り直すプロデューサーがぼやけて見えた。

「お茶をと、思いまして…」

「すいません、ありがとうございます」
お茶を持つ手が微かに震えているのが自分でも分かっていた。

熱さは感じていない。

「お話しの途中、すいませんでした…」
二人分のお茶を置くと小鳥は足早にその場を後にした。

ミーティングルームから逃げ出し小鳥は給湯室に駆けて行った。

口を強く押さえながら嗚咽が漏れないようにしていても溢れる涙は止め様が無かった。

給湯室に着くと小鳥は崩れる様にしてその場にしゃがみ込んだ。

「うっ…うぅぅっ、ふっ」
声が出てしまいそうになるのを必死に押さえる。

プロデューサーの言っていた言葉が脳裏に蘇る。

プロデューサーとして、あずささんをおもうファンの一人として!貴方を支えていくつもりですよ!

思うなのか想うなのか小鳥には知りようも無かった。

それだけで十分だった。

今のプロデューサーの目に自分は映っていないと分かる事が出来たから…

自分の気持ちは届かない事を知れたから…

今この気持ちを伝えるのは彼の負担にしかならないから…

声を殺す様にしてどれだけ泣きはらしただろう、どれだけの時間が過ぎたろう。

外はすっかり暗くなっているに違いない。

少し気分が落ち着いてきたのを見計らって小鳥は給湯室を後にした。

「酷い顔してるんだろうな…何年ぶりかな、こんなに泣いたの」
そう思い化粧室に向かう。

鏡を見てみると案の定、涙で化粧は落ちていて瞳は赤く充血していた。

「はぁ…帰るだけなんだけどこのままじゃね」
デスクに戻ってバッグを取りに事務所に向かうと事務所の中はまだ明かりが灯されていた。

「誰か居るのかな?」
今の状況を他人に晒したくは無かったが仕方が無いのでこっそりドアを開ける。

辺りを見回すと人の気配は無かった。

「消し忘れかな?」
そそくさとバッグを取って電気を消し化粧室に向かおうとした時、振り向き様に誰かにぶつかった。

「あっ、ごめんなさい!」
謝って通り過ぎようとする小鳥をその人は呼び止めた。

「あ、音無さん」

その声に小鳥は足を止めた。

廊下は既に暗くなっていてしっかりと確認は出来ないものの声の主は間違いなくプロデューサーだった。

「あ、プロデューサー…さん」

「先程はすいませんでした、ちょっと当たり気味だったかもしれません…」
プロデューサーの声は先程とは打って変わっていつもの温和な口調だった。

その口調が何故だか懐かしく感じられた。

「いえ、気には…してませんから。…ふっ」
思わず零れそうになる涙を堪える。

「音無さん?」
プロデューサーがカチリと事務所の電気を付ける。

頬を濡らして必死に嗚咽を堪えている小鳥の姿がうっすらと映し出された。

「お、音無…さん」

「ごめ、なさい…」
プロデューサーは事態が掴めずにただその場で小鳥を見守るしかなかった。

しばらく俯いていた後

「………っはぁ、ごめんなさい」
小鳥は鼻声で言った。

「…」

「こんな所で泣いて、困らせちゃいましたね」

「いえ…」

「さっき、ミーティングルームでの話しちょっとだけ聞こえてしまって…」
小鳥はプロデューサーの胸の辺りを見つめていた。

「好きだったんです、私。プロデューサーさんの事」
ぽつりと言った。

「え?」

「でもさっきの話しで諦めが付いちゃいました。あぁ、プロデューサーさんはあずささんの事が大事なんだなって」
時折笑顔を交えながら淡々と語る小鳥の言葉をプロデューサーはただ黙って聞いていた。

「あんな風に私も言い切れたら良かった…」

「…」

「そうしたら、また違う結果が見れたかな?」

「…」

「フフッ♪なんか不思議ですね、ダメなんだなって分かってたらこんなに簡単に想いを伝えられるなんて…」
また小鳥は少しだけ笑った。

「プロデューサーさん、私が泣いてた事は内緒にしてくださいね?」

「も、勿論ですよ。他の人になんて言えません」

「そう、ですよ…ね。ごめ、なさ…」
語尾は聞き取れなかった。

少しの間、沈黙が流れる。

砂時計を返せばサラサラと音が聞こえて来そうな静寂だった。

しばらくして小鳥が口を開いた。

「1回だけ…甘えてもいいですか?」
今度はプロデューサーの目を見ながら小鳥が言った。

「出来る事なら、なんでも」
プロデューサーの声が酷く優しく聞こえた。

「1回だけ、これで最後にしますから…。泣いても…いいですか?」
言い終える前から小鳥の瞳には雫が溢れ一粒頬を伝った。

「も…一人で、一人きりで泣くのは。…いや、です」
プロデューサーは腕を伸ばすと小鳥の肩を抱きかかえた。

小鳥が無抵抗に寄りかかってくる。

プロデューサーが抱き寄せると堰を切った様に小鳥は泣き始めた。

いつも笑顔の絶えない事務所のお姉さんの顔はそこには無かった。

時折しゃくり上げながらただただ声を上げ小鳥は泣いていた。

プロデューサーは躊躇いがちに徐々に抱きしめる力を強めていった。

小鳥もそれに合わせギュッとプロデューサーの胸に顔を寄せた。

「ごめ、なさい…。好きになっ…て、ごめんなさい」
ポツリと小鳥が呟くとプロデューサーの細い指が小鳥の髪を優しく撫でていった。

小鳥の想いをつぶさにぶつけられたプロデューサーは何も言えずただ泣き止むまで小鳥の髪を何度も撫でていた。

しばらく泣きじゃくっていた小鳥がすんと鼻を鳴らしてプロデューサーから体をゆっくり離した。

「ごめんなさい…恥ずかしい所見せちゃいましたね」
泣いた所為で腫れぼったくなった目を細めて小鳥は小さく微笑んだ。

「いいえ、そんな事は…。自分が言うのもなんですが…」
少し躊躇ってプロデューサーは続けた。

「人間ですから、色々な感情があって押し潰されそうになる時もあるんだと思います…」
プロデューサーは半ば自分に言い聞かせるようにそう言った。

「いっその事嫌いになれたり、他人に戻れたら楽になるのかもしれません」
小鳥が俯きながらポツリと言った。

「一度好きになった人ですからそうもいきませんけど…」

「…」

「それでも、好きな事を好きって言えない様な自分を変えようって思わせてくれたのはプロデューサーさんでした」
小鳥が顔を上げる。

笑顔の上から一粒だけ雫が頬を落ちていく。

「ありがとうございました、おかげで少しスッキリしました♪」

「いえ、自分は何も…ただ」

「ただ?」

「辛い時とか、そう言う時は必ず相談に乗ります。一人で溜め込まない様にしてください…仲間ですから」
そう言うとプロデューサーは少し照れ臭そうに目の下を掻いた。

「頑張っていきましょう」

「フ、フフフッ♪」
小さく笑うと小鳥は猫が甘えるようにグイッとプロデューサーの胸に顔を押し付けた。

「プロデューサーさんはやっぱりいい人ですね、だから惹かれたんでしょうね」
小鳥は離れるといつもの笑顔を取り戻していた。

「じゃあまた明日からよろしくお願いしますね」
小鳥が笑うとプロデューサーも笑顔を返した。

数日後

ミーティングルームの一件があってからと言うものあずさも憑き物が落ちたかのようにファン数を急上昇させていた。

それに伴いプロデューサーも事務所に帰らない日が続いている。

TVや芸能雑誌では今やあずさの話題で持ちきりだった。

「フフッ♪頑張ってるなぁ♪」
小鳥はテレビを見ながら嬉しそうに笑った。

お昼のチャイムが鳴り響く。

「お昼いこっと♪」
小鳥は社内の食堂で手早く食事を済ませると屋上に向かった。

ガチャンと重たいドアを開けると暖かな風が小鳥の髪をフワリと撫でた。

手すりに寄りかかって空を見上げる。

好きな人が隣に居ないと言うだけで小鳥は今までと変わらない生活を過ごしていた。

何処か寂しい、心に穴が開いてしまった様な感じもするけれど

思ったよりも空元気で涙が零れる事も無い。

時折ふと思い出しては、刹那に瞳は潤むけれどそれはほんの一時で

次の瞬間には当たり前に呼吸をして、瞬きをして時間は流れてる。

思っていた以上に時間は普通に流れているけれど

思っていた以上に感情は前に進まない。

それでも小鳥は悲しいと言う気持ちは既に無くなりかけていた。

どんなに離れていても、例え気持ちはお互いを見詰め合って居なくても同僚として仲間として

そして、掛け替えの無い友人として同じ空を見ている事を知っていたから…

「プロデューサーさん、今頃何をしているのかな?」
見上げた空には細く白い雲が風に揺られて流されていた。

 <片思い> -Oneway Love-

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